あなたはキング派?それともキューブリック派??


ご注意!!

これから先の文章には「シャイニング」の映画、及び原作本のネタバレがてんこ盛りです!!
まだ映画をご覧になっていない方、これから原作を読もうと思っている方はご遠慮ください。




VS















シャイニングの楽しみ方。

参加者:

ハル2000さん

私の旧友。とにかくキューブリックが好き。彼に掛かるとあの「バリー・リンドン」でさえ、名作になってしまう。(私は苦手な映画・・)先日も「アイズ・ワイド・シャット」を1時間も褒めちぎった。彼の好きな女優は、私と同じニコール・キッドマンだが、彼の場合は彼女の名前の前に「アイズ・ワイド・シャットの」が付く。

ミザリーさん

私の旧友。とにかくS・キングが好き。中でも「グリーン・マイル」をこよなく愛する。以前、「グリーン・マイル」のマイナーな登場人物トゥート・トゥートの名前で私のBBSに書き込みがあった。また、前の彼女には「『グリー・マイル』の良さが分からない女は死ね!」という暴言を吐いて別れたという実績アリ。

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ご存知のとおりの映画好き。キューブリック作品は踏破。そして以外に知られていないがS・キング好き。中でも「ミザリー」が大好き。


パート1 : キューブリックは霊を信じていない!?
どうやら、キューブリックは無神論者で、しかも超常現象を信じていなかったらしい。それゆえキューブリックがこの映画に求めたのは「リアルな人間の狂気」だったと言える。しかし、それならなぜ「シャイニング」というタイトルなのかと言う疑問が残る。ハル2000氏曰く、これはキューブリック流のキングへの敬意なのだそうだが??しかし、この映画が「リアルな人間の狂気」を描いた映画だとすると、映画のすべてに辻褄が合ってくるのだ。ただ、一箇所を除いては・・・。(それはジャックが食料庫に閉じ込められた時、何者かが鍵を開けたシーン)ダニーが見る殺人現場、双子の少女、ジャックが迷い込んだボールルーム、そしてウェンディが見る血の洪水や、悪霊たち。すべて狂気が生み出した幻なのです。

パート2 : キングは愛のホラー作家
原作と映画の一番の違いは、ジャックのダニーに対する愛情だ。原作ではジャックはダニーを溺愛している。それゆえに酒を呑んでダニーの腕を捻ってしまった事が、ジャックのトラウマになっている。そしてラストシーンでも、ジャックはダニーに愛情深いセリフを残すのだ。実はこの作品はキングにとって、とても大切な作品なのだ。原作本はまさにキングの辿ってきた人生の1部をクローズアップした作品だからだ。売れっ子になる前のキングは妻子を抱え、学校の教師をしながら作家になる努力をしてきた。しかし、仕事に追われ作品を書けずにいた。そんな生活はキングにストレスを与え、酒浸りの生活、家族への暴言などまさに、「シャイニング」のジャックと同じ境遇を体験していた。そしてそんな生活から逃れようと気分転換で出かけたのが、スタンリーホテル。彼はこの作品と同じように冬を迎え、まさに閉じようとしているホテルにチェック・インしたのだ。客がほとんどいないホテルはキングにとって恐ろしい空間だった。そしてそのホテルの「あかずの間」の話を聞いたキングは、この「シャイニング」の執筆に取り掛かったのだ。それゆえこの作品はキングにとってはある意味、自叙伝のような作品でもあるのだ。その作品をバラバラに解体されて「愛情」を取り外されたキングは怒り心頭。その気持ちも分かりますよね・・・・。

パート3 : キューブリックの描く恐怖
この映画のシーンの中でも特に印象的だったのは、ジャックが黙々と打ち続けたタイプの音。そして「All Work and No Play Makes Jack a Dull Boy」だけのタイプ用紙。これは原作にはない。原作にない部分が一番印象的だというのも不思議な気がするが、これぞキューブリックの映像魔術なのだ。カメラマン出身の彼は、とにかく映像の見せ方にこだわる。つまり、キューブリックは我々に「恐怖を見せた」のだ。そしてもうひとつ印象的なのがステディカム・カメラでの撮影だ。ダニーが三輪車で走る後ろを、カメラが静かに着いて行く。単純なシーンではあるのだが、あの独特な不快感はいったい何なのでしょう?しかも、これらのシーンはすごく無機質な感じがする。それはキングの原作の「情」の部分をすっぱりと切り落とした成果なのだ。そしてそれがこの映画のリアリティに繋がっているのだ。そういった演出は演技陣にも容赦なく押し付けられた。「シャイニング」のメイキング映像で、ウェンディ役のシェリー・デュバルがみるみる焦燥していくところや、あの名優スキャットマン・クローザスに100回以上もNGを出したというのはもはや伝説。そこまで役者を追い込んだからこそ、あの演出ができているのでしょうね。つまり、役者は演技をしているのではない。あれはまさに狂気なのだ・・・。

パート4 : キングの描くファンタジー 
この「シャイニング」をキング自身がTVでリメイクしたことはご存知でしょう。作品的には平凡で、しかも軽い感じの作品になってしまっている。もちろん、キング自身の演出にも問題があるだろうが・・・。しかし、この作品でキングは高々と愛を謳いあげた。そして超常現象を前面に押し出した。つまり、この作品はファンタジー作品なのだ。ラストに狂気で我を失っているジャックを雪で作った動物の像が襲うシーンがある。これぞまさにファンタジー映画的表現なのだ。そして最後に息子に残した愛情溢れる言葉。このシーンのためだけにキングはリメイクしたのかもしれない。そしてその事を証明する事が、キングの唯一の抵抗だったのかもしれない。


パート5 : 映画の描くリアル、活字が描くリアル 
キングの作品の活字の力は素晴らしい。それは日常にある物を見事に活字に置き換える技術、そして物事にリアリティを持たせるために、ブランド名をわざと使う(例えば、「クリネックス・ティッシュ」「BOND紙」「P&G」などはよく登場するブランドだ)。そんな我々の日常をリアルに描きながら、超常現象を見せるのがいわゆるキングの手法なのだ。その事によって読者は恐怖体験を身近に感じる事ができるのだ。そして欠かす事ができないのは「愛情」。しかし、「愛情」と「異常」は紙一重なのだ。人は愛する人のためならば、悪魔に心を売る事だってできる。例えそれが、触れてはいけないタブーであっても。そんなキングの良さを思いきり引き出した作品がある。「ペット・セメタリー」という映画だ。事故で最愛の息子を亡くした男が、呪われたインディアンの土地に死体を埋めると、戻ってくるという伝説を信じ、埋めに行ってしまう。しかし、そこから甦る者は、かつての人間ではなく邪悪な心を宿して戻ってくるのだ。しかし、それでも男は・・・。この気持ちは痛いほど理解できた。そしてこれがキングの作品の怖さであり、悲しさであり、そして人間臭さなのだ。しかし、キューブリックはそういう素材を全て切り捨ててしまった。
この映画のシーンでどうしても納得がいかなかったのが、ハロルド・スキャットマンが演じるハローランの殺され方だ。原作ではダニーの「シャイニング」によって呼び寄せられたハローランは、一通りの活躍をしてウェンディとダニーのためにひと暴れするのだが、映画では着いたと同時に、あっという間に殺されてしまう。「一体、何のために来たんだ・・・」普通の展開ならば、もうちょっと何かあるだろう!?ところがこの展開はキューブリックが観客を欺くための大きな仕掛けなのだ。(私は呆気にとられて笑ってしまったけど・・)誰もがこのシーンでは欺かれるはず。しかし、これがキューブリックの描きたかった恐怖なのだ。

あいまみれる事のない両者
この二人は同じ作品に携わりながら、まったく違うものを描こうとしている。どっちが良いでもどっちが悪いでもないのだ。最後に残された選択肢は「どちらが好きか?」なのだ。果たしてあなたはどちらが好き??



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